■今回取り上げる話

今回取り上げるのは、『ウルトラマン』「小さな英雄」と「さらばウルトラマン」である。
これらの作品は、単なる怪獣との最終決戦を描いたエピソードではない。
ここで描かれているのは、
「依存から協力、そして自立への変化」
である。
戦争や安全保障では、ときに強大な存在へ依存しながら安全を維持する場合がある。
しかしその中で、
「どこまで自分たち自身で戦うべきなのか」
が問題となる場合も存在する。
『小さな英雄』と『さらばウルトラマン』からは、そうした問題を見ることができる。

■今回のテーマ

国家や組織は、ときに強大な軍事力や同盟国へ安全保障を依存する場合がある。
しかし、守護者が常に自分たちを守り続けてくれるとは限らない。
そのため戦争では、
・自立した防衛能力
・主体性
・戦う意思
なども重要となる。
また現実の国際政治では、単純な「完全自立」が目指されるとは限らない。
多くの国家は、同盟や協力関係を維持しながら安全保障を行っている。
そのため現実世界では、
「他国と協力しながら、どこまで自ら戦える能力を持つべきか」
が重要な問題となっているのである。
そして、こうした問題はウルトラマンにも描かれている。

■ストーリー①「小さな英雄」

怪獣酋長ジェロニモンは、過去に倒された怪獣たちを復活させ、人類への総攻撃を企てる。
科学特捜隊は大岩山へ出撃するが、イデ隊員は、
「どんな兵器を作っても最後はウルトラマンが解決してしまう」
と考え、自信を失っていた。
その後、再生ドラコと再生テレスドンが出現し、戦闘が始まる。
しかしイデは、ウルトラマンの登場を待つばかりで戦おうとしない。
そんな中、友好珍獣ピグモンは、自ら囮となってドラコを引きつけ、命を落としてしまう。
その姿を見たイデは立ち直り、科学特捜隊は反撃を開始する。
そして最後は、ウルトラマンとイデ隊員の協力によってジェロニモンが倒されるのであった。

■ストーリー②「さらばウルトラマン」

ゼットン星人は地球侵略を開始し、科学特捜隊基地を内部から爆破する。
さらに最強怪獣ゼットンが出現し、ウルトラマンへ戦いを挑む。
しかしゼットンの圧倒的な力の前に、ウルトラマンは敗北してしまう。
地球最大の守護者が倒れ、人類は絶望的状況へ追い込まれる。
しかしその後、科学特捜隊は自ら開発した新兵器「無重力弾」によってゼットン撃破へ成功する。
その後ゾフィーが現れ、ウルトラマンはM78星雲へ帰還していくのであった。

■現実世界の話

このような問題は、現実世界でも見ることができる。
第二次世界大戦後、西欧諸国の多くは、アメリカの強大な軍事力へ安全保障を依存していた。
しかしその後、西ドイツの再軍備や、フランスの独自防衛力強化など、自ら戦う能力を持とうとする動きも進んでいく。
つまり安全保障では、
「守られること」
だけではなく、
「協力しながら、自ら戦える能力を持つこと」
も重要なのである。
ただし現実世界では、完全な自立が必ずしも理想とされているわけではない。
多くの国家は、現在でも同盟や協力関係を維持しながら安全保障を行っている。
そのため現実の国際政治では、
「他国と協力しながら、どこまで自ら戦える能力を持つべきか」
が重要な問題となっている。
その意味では、『さらばウルトラマン』における
「人類だけでゼットンを倒す」
という展開は、
人類の成長や自立を、ドラマチックに強調するための演出であると思われる。

■この話の意味

『小さな英雄』と『さらばウルトラマン』で重要なのは、単にウルトラマンが戦っているだけではない点にある。
『小さな英雄』では、イデ隊員が、
「最後はウルトラマンが何とかしてくれる」
という依存から抜け出し、ウルトラマンと協力しながら戦う姿が描かれている。
つまりここでは、完全な自立ではなく、
「依存から協力へ」
という変化が描かれている。
そして『さらばウルトラマン』では、ついにウルトラマンそのものが敗北する。
しかしその後、人類自身がゼットンを倒している。
これは、現実の安全保障における完全自立をそのまま示しているというよりも、
「守られてきた側が、自ら戦う主体へ成長したこと」
を強く示す場面として見るべきであろう。
つまりこの二つの作品では、
「依存」

「協力」

「自立」
という変化が描かれている。
ただしここでいう自立とは、他者との協力を否定することではない。
むしろ、守られるだけの存在ではなく、自らも戦う意思と能力を持つ存在へ変化することを意味している。
『さらばウルトラマン』は、英雄の物語であると同時に、
「人類が守られる側から、戦う〝主体〟へ変化していく物語」
として見ることもできるのである。
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