■今回取り上げる話
今回取り上げるのは、『ウルトラセブン』第1話「姿なき挑戦者」である。
これまで見てきたように、戦争や対立の原因には、
・領土
・資源
・支配
・価値観の違い
・資源
・支配
・価値観の違い
など、さまざまなものが存在する。
しかし一方で、
「最終的に戦争を決断するのは誰なのか」
という問題も存在する。
戦争は自然現象ではない。
それは、人間が決定する行為である。
イギリスの軍事評論家 リデル・ハートは、戦争を研究すればするほど、その原因は政治的・経済的条件だけではなく、より根本的には心理的なものであると感じるようになったと述べている。
また、アメリカの歴史家 J・ステジンジャーも、戦争は最終的には人間によって始められるのであり、特に開戦の局面においては、指導者個人の性格が重要な意味を持つと指摘している。
『姿なき挑戦者』からは、そうした問題を見ることができる。
■今回のテーマ
国家や軍隊は、一つの統一された意思によって動いているように見える。
しかし実際には、同じ組織の内部にも複数の考え方が存在している。
特に危機的状況では、
・武力行使を優先する立場
・犠牲を避けようとする立場
・犠牲を避けようとする立場
が対立する場合がある。
そして、最終的にどちらの選択が行われるかは、制度だけではなく、指導者個人の性格や価値観にも左右される。
『ウルトラセブン』では、地球防衛軍の指導者たちの間にも、そうした違いが描かれている。
■ストーリー
クール星人は、多数の人間を人質に取り、地球防衛軍へ全面降伏を要求した。
これに対し、地球防衛軍内部では対応が分かれる。
マナベ参謀は、
「たとえ人質に犠牲が出ても、ミサイル攻撃を行うべきだ」
と主張した。
つまり彼は、部分的犠牲を受け入れてでも、全体の安全を守るべきだと考えていたのである。
一方、タケナカ参謀は、
「人質を見殺しにはできない」
として、より慎重な対応を取ろうとした。
ここで重要なのは、彼らが同じ組織に属していたという点である。
同じ情報を共有し、同じ危機に直面していても、判断は一致していない。
そこには、
・どこまで犠牲を許容するか
・武力行使をどこまで正当化するか
・武力行使をどこまで正当化するか
という価値観の違いが存在していたのである。
■他にも存在する「指導者の違い」
こうした違いは、『ウルトラセブン』の他のエピソードにも見ることができる。
たとえば、地球と宇宙都市ペガッサ市が衝突する危機において、マナベ参謀はペガッサ市の爆破を即座に決断している。
また、『超兵器R1号』では、タケナカ参謀が危険兵器開発の中止を進言しようとしていた。
さらに、『史上最大の侵略』では、ゴース星人による全面降伏要求に対し、タケナカ参謀は降伏受諾を進言している。
つまり『ウルトラセブン』では、
・強硬派
・慎重派
・慎重派
の両方が描かれているのである。
■現実世界の話
このような問題は、現実世界においても存在している。
たとえばイラク戦争では、アメリカ政府内部で開戦をめぐる意見対立が存在していた。
ジョージ・W・ブッシュらは、
「脅威は先に排除すべきである」
として開戦を決断した。
一方、コリン・パウエルらは、国際的正当性や戦後の混乱を懸念し、慎重な立場を取っていた。
また、ロシアによるウクライナ侵攻においても、一部の高官は慎重姿勢を見せていたとされる。
しかし最終的には、ウラジーミル・プーチンが開戦を決断した。
つまり、同じ国家の内部にも複数の選択肢が存在しているのである。
そして、どの道が選ばれるかは、最終的には指導者の判断によって左右される。
■この話の意味
『姿なき挑戦者』は、もちろん、
「クール星人との戦い」
として楽しめる作品である。
しかしその一方で、
「戦争は誰が決めるのか」
「指導者の性格は戦争にどのような影響を与えるのか」
「どこまでの犠牲を許容するのか」
「指導者の性格は戦争にどのような影響を与えるのか」
「どこまでの犠牲を許容するのか」
という問題を考えさせる部分も存在している。
同じ組織の中にも、
・武力行使を優先する者
・犠牲を避けようとする者
・犠牲を避けようとする者
が存在していた。
つまり戦争とは、国家が自動的に起こすものではない。
それは常に、人間が選び取る行為なのである。