■今回取り上げる話

今回取り上げるのは、ウルトラセブン「超兵器R1号」である。
国家は、自国の安全保障を守るため、しばしば軍備を拡張する。
しかし、その軍備拡張は相手国にとって脅威として映る。
その結果、相互不信が拡大し、やがて戦争へ発展していく場合がある。
『超兵器R1号』からは、そうした軍備拡張の危険性を見ることができる。
また本作は、核兵器・核抑止・冷戦期の軍備競争を強く連想させる作品でもある。
しかし、この作品が描いているのは、単なる軍備競争ではない。
そこには、
「軍備競争になる前に、すでに戦争が始まってしまう」
という、きわめて特異な問題が描かれているのである。

■今回のテーマ

一般に、冷戦期の核兵器問題は、
「相手より強い兵器を持つことで戦争を防ぐ」
という抑止論と結びつけて語られることが多い。
『超兵器R1号』にも、そうした核抑止論を連想させる部分を見ることができる。
また、一九五四年のビキニ環礁における水爆実験や、第五福竜丸事件などを背景として見ることもできるだろう。
しかし、この作品が描いているのは、単なる軍備競争ではない。
通常の軍備競争は、
・相手が軍備を増強する
・こちらも対抗して軍備を増強する
・さらに相手も軍備を増強する
という「相互反応」の構造を持っている。
ところがR1号のケースでは、ギエロン星は地球の軍備増強に反応する間もなかった。
地球側が行った超兵器実験そのものによって、ギエロン星は破壊されてしまったからである。
つまりこのケースでは、
「軍備競争の結果として戦争が起きた」
のではない。
軍備増強そのものが、直接戦争へ転化してしまっていたのである。
これは、通常の軍備競争モデルから外れる、きわめて特異なケースである。

■ストーリー

地球防衛軍は、惑星攻撃用ミサイル「超兵器R1号」を開発する。
その威力は凄まじく、惑星そのものを破壊できるほどであった。
フルハシは言う。
「これで地球の防衛は完璧だな。地球を侵略する惑星なんかボタン一つで木っ端みじんだ」
またアンヌも、
「超兵器があることを知らせれば、侵略して来なくなる」
と語っている。
ここで語られているのは、まさに抑止の論理である。
圧倒的な破壊力を持つ兵器を保有することで、相手に攻撃を思いとどまらせようとしているのである。
しかし、その実験によって、ギエロン星は破壊されてしまう。
そして、生き残ったギエロン星獣が地球へ襲来することになる。
つまり地球は、
「未来の侵略に備える」
という名目で行った軍備増強によって、自ら新たな戦争を生み出してしまったのである。

■R1号の論理

一般的な軍備競争では、
・相手が軍備を増強する
・こちらも対抗する
・さらに相手も軍備を増強する
という形で、相互不信が拡大していく。
S・P・ハンチントンは、こうした軍備競争への反応を、
・外交で対抗する
・軍備を増強する
・なお優勢なうちに戦争をしかける
・反応が遅れ危機を招く
などに分類している。
ウルトラセブン「700キロを突っ走れ」のキル星人のケースは、このうち、
「相手が強くなる前に攻撃する」
という第三の類型に比較的近い。
しかし、『超兵器R1号』のケースは少し異なっている。
ギエロン星は、地球の軍備増強に対抗する間もなかった。
地球側が行った超兵器実験そのものによって、ギエロン星は破壊されてしまったからである。
つまりこのケースでは、
「軍備競争の結果として戦争が起きた」
のではない。
軍備増強そのものが、直接戦争へ転化してしまっていたのである。
ただし結果だけを見れば、
「相手が対抗不能なうちに圧倒的軍事力で破壊する」
という意味で、ハンチントンの第三類型に近い構造とも考えられる。
しかもR1号は、単なる兵器増産ではない。
それは、
「侵略される前に、惑星ごと消滅させる」
という、防衛思想そのものを変化させる超兵器であった。
作中でダンは、こうした軍備拡張の論理を、
「血を吐きながら続けるマラソン」
と表現している。
自国を守るために兵器を作る。
しかし相手も、それに対抗してさらに強力な兵器を作る。
こちらもまた、それ以上の兵器を作ろうとする。
その連鎖には終わりがない。
しかも『超兵器R1号』では、その連鎖が本格化する前に、すでに破局が発生してしまっている。
平和を守るための力が、逆に平和そのものを破壊してしまう。
そこに、この作品の恐ろしさがある。

■現実世界の話

このような問題は、現実の国際政治においても見られる。
国家はしばしば、
「将来的に脅威となるかもしれない相手を、力を持つ前に排除すべきではないか」
という発想を抱く場合がある。
たとえば二〇〇三年のイラク戦争では、アメリカ合衆国は、
・大量破壊兵器保有疑惑
・将来的軍事脅威
・テロ支援の危険性
などを理由として軍事行動を行った。
そこでは、
「攻撃されてから反撃する」
のではなく、
「脅威になる前に叩く」
という発想が強く現れていた。
しかしその発想は、
「どこまでを潜在的脅威とみなすのか」
という問題を生み出す。
そして、その論理が極限化したとき、
防衛のための軍事力は、
相手を先に消滅させるための力へ変化してしまう。
『超兵器R1号』が描いているのも、まさにそうした問題なのである。
そしてこの作品の恐ろしさは、
「軍備競争の果てに戦争が起きた」
のではなく、
「軍備競争になる前に、すでに戦争が始まっていた」
という点にあるのである。
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