■今回取り上げる話

『帰ってきたウルトラマン』「怪獣使いと少年」は、差別や人間のエゴ、群衆心理の恐ろしさを描いた作品として、評されることが多い一編です。それは、決して間違いではありません。ですが、この作品は、戦争論の観点から見ても、きわめて興味深いものです。
ここで描かれているのは、理解できない相手への恐怖が、どのようにして敵意となり、暴力へと変わっていくのか――という問題です。それを、これほど生々しく描いた作品は、そう多くありません。
思い返してみてください。メイツ星人は、何ひとつ、悪いことをしていませんでした。地球を侵略しに来たのではありません。環境を調べに訪れ、寒さと飢えで死にかけていた孤児の少年を救い、暴れる怪獣を念力で封じ、その子の父親代わりとなって、ひっそりと暮らしていました。誰にも、害を与えることなく。
それでも、彼は殺されます。怪獣にではありません。人間に――正確には、人間の「恐怖」に、です。

■今回のテーマ

対立を生むのは、相手の「力」だけではありません。むしろ、私たちをより深く不安にさせるのは、「相手が何を考えているのか」が分からない、ということのほうです。
この、意図をめぐる不安を、政治学者ロバート・ジャービスは鋭く論じています。国家は、相手の能力だけでなく、その意図を推測しながら行動します。ですが、意図を正確に知ることは難しく、そのため人々は、しばしば最悪の可能性を想定してしまいます。
本当は敵意のない相手であっても、何を考えているのか分からない、自分たちと違う、信用できない――そう思われた瞬間に、脅威として認識されてしまうのです。
そして、その脅威認識が警戒を生み、警戒が敵意を生み、やがて暴力へと発展することがあります。恐怖から始まるこの連鎖こそが、この物語の、本当の主題です。

■ストーリー

河原の廃屋に、天涯孤独の少年・良が暮らしていました。彼は周囲から「宇宙人の子供」と噂され、激しい差別と暴力にさらされていました。
良を気にかけた郷秀樹は、やがて真実を知ります。良と暮らしていたのは、メイツ星人でした。ですが彼は、侵略者ではありません。一年前、環境調査に訪れた際、怪獣に襲われ死にかけていた良を救い、その怪獣ムルチを念力で封じて、親子のように暮らしてきたのです。地球の汚れた空気に蝕まれ、病に伏せながら。
しかし住民たちは、それを知りません。いや、知ろうとしませんでした。彼らにとって重要なのは、ただ一つ――「宇宙人である」という事実だけでした。
やがて恐怖は、群衆を暴徒へと変えます。良を守ろうと、メイツ星人は自ら正体を明かします。ですがその直後、人々の――ついには、市民を守るはずの警官の放った銃弾が、彼の命を奪いました。そして彼の死とともに封印は解け、怪獣ムルチが復活します。
暴徒たちは、居合わせた郷に「なんとかしろ」と喚きました。郷は、静かに突き放します。怪獣を呼び覚ましたのは、あなたたちではないか、と。やがてウルトラマンは、降りしきる雨の中でムルチを倒します。その断末魔は、人間の悲鳴に似ていたといいます。
ですが、本当の悲劇は、とうに終わっていました。嵐が去ったあとも、良は、地面を掘り続けます。メイツ星人が隠した宇宙船を、探して。「おじさんは死んだんじゃない。メイツ星へ帰ったんだ」――そう信じて。彼が掘る手を止めることは、ありませんでした。

■現実世界の話

このような構造は、現実の歴史にも、はっきりと刻まれています。
第二次世界大戦中のアメリカでは、多くの日系アメリカ人が、強制収容所へ送られました。その大半は、何の破壊活動も行っていない、ふつうの市民でした。それでも彼らは、「日本と戦争をしている」という状況のなかで、「何をするか分からない」という、ただそれだけの理由で、危険視されたのです。
そして――この「怪獣使いと少年」という作品自体が、その現実と、深く結びついています。脚本を手がけた上原正三は、メイツ星人の地球名を「金山十郎」としました。在日コリアンに多い姓です。少年・良にも、アイヌであるという裏設定が込められていたといいます。沖縄出身の上原が描いたこの一話を、評論家の町山智浩は、本土の工業地帯で働いた沖縄出身者の暗喩とも読んでいます。
つまり、この物語は、「宇宙人」の話の顔をしながら、その下で、現実に差別を受けてきた人々のことを、描いていたのです。理解できない相手を、危険視し、排除する――その構造は、フィクションの中だけのものでは、決してありません。

■この話の意味

この回が突きつけるのは、メイツ星人が、人類に敵意など、まるで抱いていなかった、という事実です。
彼は怪獣を封じ、少年を育て、静かに生きていました。問題になったのは、彼が「何をしたか」ではありません。彼が「何をするか、分からなかった」ことです。住民が見ていたのは、彼の行いではなく、「宇宙人」という、たった一つの属性でした。その分からなさが恐怖を生み、恐怖が、暴力へと姿を変えたのです。
そして、名前が教えてくれます。これは、宇宙人の話ではありません。私たちの話なのです。
「怪獣使いと少年」が描いているのは、単なる差別の物語ではありません。理解できない相手を、人はどのようにして「敵」だと思い込むのか――その、恐ろしいほど静かな過程です。
戦争は、敵が存在するから始まるとは、かぎりません。ときに、それは、「敵だと思い込むこと」から始まります。メイツ星人を殺したのは、怪獣ではありませんでした。それは、見えない意図を、最も悪いほうへと想像してしまう、私たち自身の、恐怖だったのです。
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