■今回取り上げる話
今回取り上げるのは、ウルトラQ「五郎とゴロー」と、帰ってきたウルトラマン「毒ガス怪獣出現」である。
一方は巨大猿ゴローと青年・五郎の交流を描いた物語、もう一方は毒ガス怪獣モグネズンとの戦いを描いた作品。一見すると共通点のない二作だが、どちらも「過去の戦争が残した問題」を描いている。
戦争は終わったはずなのに、その時代に作られた技術や物質が、新たな事件を引き起こす。二作からは、「戦争の負の遺産」という問題を読み取ることができる。
■今回のテーマ
戦争というと、多くの人は戦場の戦闘や兵士の姿を思い浮かべる。だが戦争の影響は、それが終わったあとも続くことがある。
戦争中に開発された兵器・化学物質・軍事技術が残され、のちの社会に被害を与える。現実でも、不発弾・地雷・遺棄化学兵器などが、戦後も長く問題となってきた。
つまり戦争は、停戦や講和によって、ただちに終わるわけではないのである。
■ストーリー① ウルトラQ「五郎とゴロー」
伊豆・淡島に、巨大な猿ゴローが現れる。調査の結果、その原因は「青葉くるみ」と呼ばれる特殊な木の実だと判明する。
この青葉くるみは、かつて旧日本軍が、兵士の体力増強を目的に研究していたものであった。身寄りのない青年・五郎が可愛がっていた猿ゴローは、それを大量に食べたことで甲状腺のバランスを崩し、巨大化してしまったのである。
ここで大切なのは、ゴロー自身に何の罪もないことだ。ゴローは、五郎を慕うおとなしい猿にすぎない。戦争はとうに終わっていた。しかし戦時中の研究は残されており、それが、無垢な一匹の猿を巨大な「怪獣」へと変えてしまったのである。
■ストーリー② 帰ってきたウルトラマン「毒ガス怪獣出現」
時代劇映画のロケ隊が、山中で次々と倒れる事件が起きる。原因は、旧日本軍が開発した猛毒ガス「イエローガス」であった。それは使用命令が下る前に終戦を迎え、処分されていた兵器である。その毒ガスを食べた怪獣モグネズンが、山に出現する。
この回で胸を打つのは、MATの岸田隊員の物語である。岸田は、亡き父がこのイエローガスの開発に関わっていたことを知り、衝撃を受ける。
しかも、父は嬉々として毒ガスを作ったわけではなかった。残された手記によれば、父はその開発に悩み苦しみ、ガスが使われずに終わったことに、むしろ安堵していた。さらに――かつてその事実を知った岸田の兄は、それを苦に自ら命を絶っていた。一つの兵器が、作った本人を苛み、その家族を一人死へ追いやり、戦後何十年も経って、何も知らずにいた岸田にのしかかってくる。
岸田が向き合わされるのは、現在の敵ではない。過去の戦争が残した兵器そのもの、そしてそれが家族に刻んだ消えない傷である。
■現実世界の話
このような問題は、現実にも見られる。
カンボジアでは、内戦中に埋設された大量の地雷が戦後も残り、多くの民間人が被害を受けてきた。日本国内でも、第二次世界大戦中の不発弾が、いまも発見されることがある。さらに中国では、旧日本軍が遺棄した化学兵器の処理が、長年にわたって問題となってきた。
いずれも、戦争そのものは終わっても、その影響が社会に残り続けている例である。
■この話の意味
「五郎とゴロー」と「毒ガス怪獣出現」で興味深いのは、脅威の原因が「現在の敵」ではないことだ。ゴロー巨大化の背景には旧日本軍の研究があり、モグネズン出現の背景には旧日本軍が残した毒ガスがあった。どちらも、戦争のために作られた技術や物質が生んだ問題である。
そして見落としてはならないのは、その怪獣たち自身もまた、被害者だということである。ゴローは研究のとばっちりで巨大化させられた無垢な猿であり、モグネズンも残された毒ガスを食べてしまった一匹の生き物にすぎない。
前回扱った「故郷は地球」「まぼろしの雪山」でも、ジャミラやウーは、人間の社会が生んだ犠牲者であった。今回のゴローやモグネズンも、同じである。ただし、その悲劇を生んだものが、ここでは「戦争が残した負の遺産」だという点に、本作ならではの重さがある。
戦争は、戦場の戦闘が終われば、終わったように見える。だが、その影響まで消えるわけではない。時には数十年後になっても、戦時中に作られた技術や兵器が、新たな悲劇を引き起こす。そしてその傷は、岸田家がそうであったように、人の心の奥深くにまで残り続ける。
「五郎とゴロー」と「毒ガス怪獣出現」は、戦争の負の遺産が後世に残ること――戦争は終わっても、その影響までは、簡単には終わらないことを描いた作品として読むことができるのである。