■今回取り上げる話
今回取り上げるのは、ウルトラセブン「ノンマルトの使者」である。
この回は、海底世界との戦いを描いただけのエピソードではない。
ここで問われているのは、「領土の正当性」——ある場所を、なぜ自分たちのものだと言えるのか、という問題である。
国家や共同体は、陸地だけでなく海についても支配権を主張する。
しかし、「なぜそこを支配できるのか」という問いに答えることは、見かけほど簡単ではない。
■今回のテーマ
領土問題と聞くと、私たちは国境線や軍事衝突、資源の奪い合いを思い浮かべる。
しかし、その手前には、もっと根本的な問いがある。
「そもそも、誰がその土地を支配する正当性を持つのか」という問いである。
政治哲学者マーガレット・ムーアは、領土の正当性を、現在の実効支配からではなく、その土地との関係の積み重ねから考えようとした。
誰がそこで暮らしてきたのか。
誰が、その場所で共同体を築いてきたのか。
つまり、「いま支配している」ことと、「正当に保有している」ことは、同じではない。
この区別を、「ノンマルトの使者」は怪獣ドラマの体裁をとりながら、容赦なく突きつけてくる。
■ストーリー
海底開発が進むなか、海底開発センターのシーホース号が爆破される。
事件を起こしたのは、海底に住むノンマルトであった。
そんな中、真市という少年がノンマルトと接触し、海の底には手を出すなと警告する。
ノンマルトは、自分たちこそが本来の地球人であり、いまの人類は後から来た存在なのだと主張する。
やがてダンは、ある事実に気づく。
彼の故郷であるM78星雲では、「ノンマルト」とは「地球人」を意味する言葉なのである。
——つまり、海の底へ追いやられ、怪獣のように呼ばれている彼らこそが、ほんとうの地球人なのだ。
地球で最初に生きていた者たちは、土地を奪われただけではなかった。
「地球人」という、自分が何者であるかを示す名前までも、奪われていた。
その名はいま、海を埋め立てようとしている側のものになっている。
やがて海底基地ガイロスをめぐって、地球防衛軍とノンマルトの戦いが始まる。
戦闘は激化し、ノンマルトは滅ぼされる。
そしてダンは——人類こそが侵略者であったと知りながら、その人類の側に立っている。
正しさを知る者が、何も覆せないまま、ただ立ち会う。
この沈黙こそが、この回を、いつまでも後味の悪い傑作にしている。
■現実世界の話
「正当に保有している」とはどういうことか。
この問いは、フィクションの中だけのものではない。
アメリカ・サウスダコタのブラックヒルズは、かつて条約で先住民スー族に保障された土地であった。
しかし金鉱が見つかると、その約束は反故にされ、土地は奪われた。
のちに法廷は、奪ったことへの補償として、巨額の金銭の支払いを命じる。
だがスー族は、その金を受け取らなかった。
いまも、受け取っていない。
受け取れば、土地が金で清算されたことを認めることになるからである。
宙に浮いたままの補償金には、利息だけが積み上がり続けている。
彼らが求めているのは、金額ではない。
土地そのものの返還である。
「正当性は、力でも金でも買えない」——その拒絶は、ムーアの議論を、理屈ではなく人間の意地として示している。
同じ構図は、コソボでも、イスラエル・パレスチナでも、形を変えて繰り返されてきた。
そこで争われているのは、土地の面積ではない。
「その場所は、そもそも誰の世界なのか」である。
■この話の意味
この回で決定的なのは、人類が当然のように、海底を「開発と支配の対象」として扱っている点である。
しかしノンマルトから見れば、そこは自分たちが暮らしてきた世界であった。
人類による海底開発は、彼らにとって、自分たちの世界そのものへの侵入だったのである。
作品は、どちらが正しいとは言わない。
ただ、最も静かで、最も残酷な事実だけを置いていく。
——勝った側が「地球人」という名前を手に入れ、負けた側からは、その名さえ消えた。
侵略の完成形とは、土地の収奪ではない。
相手が何者だったのかという記憶ごと、上書きしてしまうことである。
そういえば、この物語を書いたのは、沖縄出身の金城哲夫だった。
先に住んでいた者が世界を奪われ、名前まで奪われる——その話を、彼が書いた。
それ以上は、言わなくていい。
そのうえで、この回は、ひとつの普遍的な問いだけを残して終わる。
いま何かを支配している者は、それを正当に保有していると、どうして言い切れるのか。
「ノンマルトの使者」は、単なる海底世界との戦いではない。
それは、「領土とは誰のものなのか」「支配の正当性はどこから生まれるのか」を問いかけ、そして——その問いに答えを持たない私たち自身を、静かに告発する作品なのである。
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