■今回取り上げる話
ウルトラマン「故郷は地球」は、シリーズ屈指の名作として知られる。
登場する怪獣ジャミラは、もともと人間だった。国家の威信をかけた宇宙開発計画のなかで事故に遭い、宇宙に取り残された飛行士である。
過酷な環境のなかで異形の怪獣へと変わり果てた彼は、自分を見捨てた人類への復讐を誓い、各国代表が集まる国際平和会議へ向かう。
そしてウルトラマンとの戦いの末、泥にまみれながら絶命する。
だが、この物語はそこで終わらない。
事件のあと、科学特捜隊はジャミラのために墓標を建てるのである。
この記事が見るのは、怪獣との戦いではない。
戦いの後に残された、その一つの墓標である。
■今回のテーマ
私たちは、戦争や災害の犠牲者を忘れないために、記念碑や慰霊碑を建てる。
しかし記念碑とは、単に過去を保存する石の塊ではない。
世界各地の戦争記念碑を自ら訪ね歩いた歴史家のキース・ロウは、記念碑とは「過去をどう記憶するか」を社会が選び取った結果である、と論じている。
記念碑は、過去の出来事をそのまま伝えるわけではない。
誰を英雄として記憶するのか。
誰を犠牲者として悼むのか。
そして何を語り、何を語らないのか。
そうした選択を通じて、一つの「物語」を後世へと残していく。
ジャミラの墓標もまた、そのような記念碑として読むことができる。
それは犠牲者を悼む墓標であると同時に、ある重要な事実を覆い隠す墓標でもある。
■ストーリー
国際平和会議を目前に控えたある日、見えないロケットによって、各国の航空機が次々と撃墜される事件が発生する。
その正体は、怪獣ジャミラだった。
ジャミラは、宇宙開発競争の犠牲者である。
国家の威信をかけた宇宙開発計画のなかで事故に遭い、帰還不能となった彼は見捨てられ、その事実は隠蔽された。
水のない惑星へ流れ着いた彼は、生き延びるために怪獣の姿へと変貌する。
そして長い年月を経て、復讐のため地球へ帰還した。
ジャミラは国際平和会議の会場へと向かい、その途上で防衛軍を退け、ついには各国の国旗を踏みにじる。
ハヤタはウルトラマンとなって立ちはだかる。
激戦の末、ウルトラマンはウルトラ水流を放つ。
水を求め続けた男は、その水によって崩れ落ち、泥のなかで絶命する。
事件のあと、科学特捜隊はジャミラの死を悼み、墓標を建てるのであった。
■現実世界の話
第二次世界大戦のあと、日本でも世界でも、数え切れないほどの戦争記念碑が建てられた。
それらは戦死者を追悼し、平和を願うために建てられたものである。
だが近年では、こうした記念碑そのものが、研究の対象とされるようになっている。
たとえば『戦争記念碑が語るもの』は、戦争記念碑や慰霊碑を、単なる石ではなく、過去を伝える「もの資料」として読み解こうとする研究である。
長年にわたる日本の戦歿者慰霊の調査をもとに、戦争の記憶がどのように碑へと記録され、戦後にどう受け継がれ、想起の文化のなかに位置づけられてきたのかを問うていく。
そこで見えてくるのは、記念碑に対する価値観が、時代とともに移り変わっていく、ということである。
だからこそ、碑に刻まれた言葉だけでなく、その碑がその時々にどう受けとめられてきたのかまでを、あわせて記録していく必要がある。
記念碑とは、過去の記録であると同時に、いま、そして未来に生きる者たちへ宛てられた、一つのメッセージでもあるのだ。
そうであるなら、私たちは問わねばならない。
その碑は、何を語り、そして何を語っていないのか、と。
■この話の意味
ジャミラの墓標には、こう刻まれている。
「人類の夢と科学の発展のために死んだ戦士の魂、ここに眠る」
一見すると、立派な追悼の言葉である。
だが、この碑文には、語られていないことがある。
ジャミラがなぜ怪獣になったのか。
誰が彼を見捨てたのか。
なぜ国家は彼を救わなかったのか。
その責任については、何も書かれていない。
そこにあるのは、「科学の発展のために死んだ戦士」という、美しい物語である。
ここで見落としてはならないことがある。
生前の彼は、「一匹の怪獣」と呼ばれていた。
その同じ力が、彼の死後には、彼を「戦士」と呼ぶ。
生きている彼からは被害者の資格を奪い、死んだ彼には英雄の衣を着せる。
どちらも、残された側が選び取った"呼び名"である。生前に彼を「一匹の怪獣」と呼んだ力学そのものについては、別稿「ジャミラの被害者性」で論じた。
だからこそ、墓標の前で、イデ隊員はこうつぶやく。
「犠牲者はいつもこうだ。文句だけは美しいけれど」
この言葉は、単なる皮肉ではない。
彼は、墓標が持つ二つの顔を見抜いているのである。
墓標は、確かにジャミラを悼んでいる。
しかし同時に、その死を生み出した責任を曖昧にし、美しい物語へと変えてしまっている。その責任がそもそも誰にあったのかは、別稿「ジャミラと国家の責任」で論じた。
キース・ロウの視点から見るならば、ジャミラの墓標は、まさに記念碑の本質を映している。
それは、犠牲者を忘れないための碑である。
しかし同時に、社会が過去をどのように記憶したいのかを示す碑でもある。
ウルトラマン「故郷は地球」が名作と呼ばれる理由は、ジャミラの悲劇を描いたからだけではない。
その悲劇が、どのように記憶され、どのように語り直されるのかまで描いたからである。
記念碑が未来へのメッセージであるとすれば、ジャミラの墓標が未来へ送り出すのは、責任を伏せたまま整えられた、一つの「美しい物語」だ。
そして本作は、その碑文の傍らに、もう一つの声を書き残した。
立派な碑文と、それを疑うイデの言葉。
この二つを並べたまま物語を終わらせたところに、本作の鋭さがあるのである。